僕は本にはさむ栞が好きだ。栞が好きになったきっかけを考えてみた。たぶん一番は、本を一気に読むことがなかったというところだと思う。もともと気が散りやすい方で、何時間も読書し続けるなんてできない。それで自然と栞をはさむようになったのだろう。それに、小学校や中学校の頃、図書館で借りてきた本は折り曲げたり書き込んだりはできない。自分で買った本でもいまだに、もったいなくて折り曲げたりはできない。そういうわけで今でもやっぱり栞をはさむのだろうなと思った。

栞といえば、古本屋で買った本から前の持ち主がはさんだままの栞が出てくるのが好きだ。手作りの栞が出てきた時なんて最高だし、その栞にメモが残っていたりするのも、いろいろ想像が膨らんでいい。出てきた栞が妙に古臭いものだった時も、この本はいったいどんなに長い間古本屋の本棚に眠っていたのだろうなんて想像できて楽しい。しわくちゃのスーパーのレシートがはさまっているのも好きで、読みかけで誰かに呼ばれてとっさに買い物帰りの財布にレシートを見つけてはさんだのかななんて勝手に物語をつくったりしている。

ロングアイランド・アイスティー

Long Island Iced Tea

いつごこからか、機会があればお酒が飲める場所に立ち寄ってから帰ろうとするようになった。これまでは少々遠くても車で向かっていた場所にも、お酒を飲めるように電車やバスを使うようになった。そうなったのは山中千尋のライブを聞きに行った時に飲んだ「ロングアイランド・アイスティー」がきっかけだと思う。

ロングアイランド・アイスティーは「今日のアーティストカクテル」で、ニューヨークに居るとつい飲みたくなると山中千尋が紹介していたと思う。そのライブは私にとってとても思い出深いもので帰り道に、飲んだカクテルがその日の出来事や感情とリンクするのは楽しいなと思った。それまでわけも分からずお酒を飲んでいたのだけど、お酒が楽しいというのはこういうことなのかなと感じることも増えた。お酒をカギに記憶が呼び起こされたり、記憶の中にお酒が登場したりということがあったらおもしろい。そんなわけでそんな期待をしながらお酒を飲みにふらふらしたいなと思う。

夏を感じるとき

毎日同じような道を走って大学に通っている。同じだから小さな変化にも敏感になれるように思う。いつもと場所が変わっていたり、いつもと違う色や形になっていたりということを見つけるのは楽しい。

梅雨の合間に青い空を見ると夏がきたんだと強く感じる。沿道の木々も春のやわらかな色からくっきりとした力強い緑色になったのもわかる。とりわけ強く夏を感じるのは、アスファルトにできた木の影が濃くなっている時や、木陰が湿っぽく感じた時だ。それはたぶん、学校帰りに木の影で休んだりしながら帰った小中学生の頃の記憶のせいのように思う。

大学への途中で、人家の途切れるところがある。木のまばらなところに洩れてくる光が眩しいのも夏らしいと感じる。

woods

woods

woods

ジャッキー・チュンのCD

僕は大学1年生のとき、第二外国語で中国語の授業を受けた。それはちょうどその頃、香港ポップスのファンで、中国語の授業を受けたら中国語曲もそのまんま聞けると考えていた。冷静に考えればそんなことはないことぐらい当時の僕もわかっただろうけど、そんな冷静になれないほどその頃は香港ポップスの大ファンだった。

僕が初めてmp3プレーヤーを買ったとき既に僕の香港ポップスブームは去っていたこともあって、僕のiTunesには香港ポップスは一つも入っていなかった。でもたまたま部屋の掃除をしていたら本棚の奥からジャッキー・チュンの二枚組CDが出てきたので、懐かしくておもわずリッピングしてしまった。

Jacky Cheung 15

十年ほど前、よく聞いていたCDの一つだった(曲目はこちら)。このCDの9曲目の「吻別」という曲が好きだったのだけれど、たまたま去年辺りから岐阜駅のアクティブGでこの曲がよくかかっているので、また気になり始めていたところだった。久しぶりに聞いてみるとその当時のことを思い出していいなと思ったので、また古いCDを探して聞いてみようかなという気分になった。

https://youtu.be/qgu25QSnzw0

人間ドッグ

私はいつのまにか、人間ドッグという言葉が好きになったみたいだ。人間ドッグという文字につい目を止めてしまう。人間なのかそれともドッグなのか。人間なのにドッグなのか、人間のようなドッグなのか。もちろんどちらでもなく、人間ドックの間違いだ。そんなことを知っていてもつい気になってしまうのは、人間ドッグという言葉に私を惹きつける何かがあるからだろう。

グーグルはとても優しい。グーグルで「人間ドッグ」と検索してもきちんと「人間ドック」がヒットする。さすがグーグルだなあ、なんて思ってしまうところだ。しかし、いや、ちょっとまてよと思う。人間ドックにまぎれて人間ドッグがあるということは、もしかしたら人間ドックの間違いではない本物の「人間ドッグ」が紛れ込んでいるかもしれない。むしろそのグーグルのおせっかいのせいで、本物の人間ドッグを探している人が人間ドッグにたどりつけないいのでいるのではないかと思うのだ。

残念ながら本物の人間ドッグを私は知らないままだ。本物の人間ドッグを知っている方がいたら私に教えてほしい。

ふるいケータイ

掃除をしていたら古いケータイの説明書が出て来た。シャープ製DP-203、記念すべき我が初ケータイだ。いま思えばなかなかいい端末だった。液晶画面が広くて最先端な感じがかっこよかったようなきがする。そうはいっても当時は液晶が広いなんてことよりも小さいということのほうがカッコイイ時代だったかもしれない。

私の持っていたのは表側は光沢のある緑色で裏側はグレーだったと思う。スタパの記事は青色だから少し違う(記事一番下)。縮尺が変だし画像の貼り方が下手くそだと思うかもしれないけれど、DP-203は元々こういう比率のデザインなのだ。電卓と間違われた人やら幅広で象に踏まれたと言われた人がいたらしい。アンテナを伸ばすとトランシーバーに似ていると何度か言われた。

ケータイの電話番号が一桁増えたのもちょうどこの端末を使っている頃だ。080-XXX-XXXXが090-8XXX-XXXXになった。父の事務所の近所のココストアで電話帳自動書き換えマシーンにつないで電話帳の電話番号を10桁を11桁に変換したと思う。そうしたらケータイの液晶画面に一列に11桁が表示しきれずに2列になってしまったようなきがする。父か妹かの端末にいたっては液晶画面に電話番号を11桁すべて表示しきれなかったと思う。そのころ「030-XXX-XXXX」という番号の人は昔からケータイを持っているのだと優越感にひたれるという話があったけれど、全員「090-XXXX-XXXX」になってしまったせいで関係なくなったような記憶がある。

テレサ・テンが好き

https://www.youtube.com/watch?v=_GrIji8yPGs

テレサ・テンの歌を好きなったきっかけは「荒木とよひさの明るく元気にヨーイドン!」というCBCラジオの公開録音を長良川国際会議場に行ったことだと思う。そのラジオの目玉はゲストであるコロッケのものまねライブだった。高校生の私の目当ても当然コロッケでそれは楽しかったのだけど、もっといい出会いがあった。舞台にはコロッケの他に荒木とよひさと三木たかしがいて、三人が歌ったり、トークをしたり、2時間ぐらいだったとおもう。「荒木とよひさと三木たかし」と来たら話題は当然テレサ・テンで、二人の尽きることのないテレサの思い出話は、本当に楽しかったし、ふたりのテレサへの特別な愛を感じることができた。

テレサ・テンを好きになり始めたときすでにこの世にはいなかったから、CDで歌声を聞くぐらいしかなかった。だけど、いまではyoutubeで気楽に映像を見ることが出来るのは本当に運がいいと思う。日本語曲だけでなくて中国語曲も検索すればいくらでもでてくる。なんていい時代なんだろうと思う。

そういえばそのラジオの公開録音の時にテレサの一番好きだった曲は「時の流れに身をまかせ」だと言っていたような気がする。そんな気がしているからか私の一番好きな曲もこの曲になってしまったようだ。クラシックを楽しむように、いろんなバージョンの「時の流れに身をまかせ」をyoutubeで見つけては聞いている。ちょっとづつ違うところがまた楽しい。これってほんとうに楽しいことだと思う。

九成宮醴泉銘

Suzuri 陶硯

本屋で、最新号のPenのが書道を特集していたので思わず買ってしまった。いつか書いたように、私は中学の時に書道部で、高校の芸術の授業も書道を選択していた。だけど、消去法的に選んだだけだったので、当時は上達しようという気持ちがたいしてなかった。そのせいで、いまも下手で、あの時間はいまとなっては何の達成感もない記憶にしかなっていない。そうはいってもやはり、美しい文字を書きたいと急に強く感じるもので、本屋でそんな本を見つけては手にとってしまうなんてこともある。

写真はというと、しばらく前に陶芸教室でつくった陶硯である。文房四宝のなかでだれでも簡単に作れるのは硯だろう。余っていた上信楽の土に黄瀬戸をいい加減に掛けてけただけのものだけどたぶん硯として十分に使えるとおもう。まだ使っていないのでまっしろなのだけど、ところで陸の部分というのは釉薬をかけるものなのだろうか。水滴がなぜかセットになっている織部の硯の写真を見ると釉薬がかかっているようなかかっていないような。墨をするにはザラザラしていないといけないような気もするし、筆が痛まない程度にツルツルでないといけないような気もするし。

せっかくだから使わなきゃと思ったので物置や押入れを探した。けっこう色々出てくるものだ。モノを捨てられない性格なので、古いものでも記憶に残っているものはたいてい家のどこかに残っている。何年も使われていないカチンコチンの筆が数本と、貰いものの墨が1本、そして練習用の半紙が二束も出てきた。そしてこの自作の黄瀬戸陶硯で御宝が四種そろった。見るからに習字教室時代のものと思われるラインの入ったフエルトの下敷きも見つかったし、意外になんとかなるものだ。手本もどこかにあったはずと本棚を探して見つけたのが、欧陽詢の九成宮醴泉銘だ。これはまた懐かしい物が出てきたものだ。

小学校や中学校の国語の時間にはいつも漢字テストがあった。マンガのタイトルみたいだけど、「トメ、ハネ」は大事だと習っていて、間違えるとバッテンがつけられた。それなのに、こういう書道のお手本をみると、滅茶苦茶なのだ。トメがハネになっていたり、ハネがトメになっていたり。妙に変だなあと思うと、一画抜けていたりというのもよくあった。変だぞ変だぞと、そんな事ばかり考えながら書いていた。さっきpenの書道特集を読んで、「なーんだ、好き勝手に書けばいいんじゃないか」と勇気が出てきたのだ。高島屋の魯山人展を見てからも書道をもう一度やってみたいなと思っていたところなのでいい機会かもしれない。

更に色々さがしまわったら書道の授業でつくった篆刻の作品まで出てきた。「2年1組玉井裕也」というシールが貼られたままだ。penの特集にあった王羲之の「奉橘帖」にしても蘇軾の「黄州寒食詩巻」にしてもハンコがベタベタ押してある。1月3日ぐらいに届く年賀状のようだ。決まりなんてないんだろう。芋判みたいなのもそこら中に押してあるので、こちらも実は好き勝手やればいいのだと感じた。ちょっとまえに買った唐詩の本から好きなのを選んで芋判を押せば完成だろう。陶印を作るというのもよさそうだ。

そういえば、あのころ、行書も何か書いていた。書家の名前は全然わからないけれど、本を読むと聞いたことのある名前がときどき出てくる。もしかしたら王羲之の蘭亭序だったかもしれないなあ。蘭亭序という名前は聞いた記憶がある。(苗字が一文字の中国人の名前はみんな書家に見えるし、詩人に見える。羨ましい。)楷書はまだしも、行書は本当に嫌いだった。頑張れば頑張るほどバランスの悪い文字になっていったことを思い出した。なんども叱られた記憶があるし、いまでも行書は好きになれない。それに引き換え九成宮醴泉銘はいいなあと思う。叱られたよりも誉められた記憶のほうが多い。カチンコチンの筆がほぐれたら書いてみようと思う。

ホームページ辞典

このところ部屋の掃除ばかりしている。マツイ棒を買うかもしれない。掃除するたびゴミは増えるのに、部屋は全く片付かない。それに3分おきに懐かしいものが出てくるから、片付きそうもない。

懐かしの「ホームページ辞典」が出てきた。なつかしいなんてものじゃない。大学1年生の定番「自分のホームページをつくろう」という授業のために、今は亡き大衆書房で買った本である。その授業から、私はホームページを作るようになって、テレホーダイの時間が待ち遠しい日々が始まったのだった。その頃のまさに座右の書といえるのが、この本だった。いま読み返すと「こんなの見つけたら笑っちゃうよ」という感じのサンプルだらけなのだけど、当時はこれをなんども読み返したものである。

そのほかによく見ていたのはWiredのWebmonkeyで、しばしばサンプルを拝借した。いまはどこに行ったのだろう。そんなネットサーフィンをするうち、ホームページという呼び方がダサい和製英語であるということを知り、今後一切ホームページなんて呼び方はするまいと思った。それに我が家のプリンターがヒューレット・パッカード製であったこともあって、ホームページをHPと省略している人がどうしても好きになれなかった。HPをわざとらしく「エイチ・ピー」なんて読んでいたのも今となっては恥ずかしい記憶だ。いまだに「ホムペ」や「メーリス」という呼び方に馴染めないのもそのあたりに理由があるような気がする。

閑話休題、実はそろそろ私もサイエンティストとして「ホーム」ページを作ろうと思いはじめている。ホームページと言ってももう何年もはウェブログしかやっていないのでHTMLなんてさっぱり分からない。「ホームページ辞典」が出てきたことだし「ホームページ」で行こう。進捗状況を報告するのでよろしく。

くど・かまど

竹細工の部屋の囲炉裏のことを書いて「くど」のことを思い出した。「くど」と言うのはたぶんこのあたりの方言で、全国的には「かまど」といわれているものと同じだと思う。

私が高校にあがる時に我が家は改築されて、取り壊してしまって今はないのだけれど、それまでは三基のクドがあった。我が家が建てられたのも割と最近になってからだったらしく、そのクドもタイルが貼られていたりする割とモダンで丈夫ななものだったと思う。私が知っている時代になってからは、そのクドを使うのは1年にせいぜい数回ほどだった。法事などでたくさん人が集まる時と、年末のもちをつく時ぐらいだったような気がする。

年末にもちをつくのは楽しかった。私はクドの火の守りをする役で、たのしくクドに薪などを放り込んでいた。薪と言っても立派な薪はないので、竹細工の余った竹片や、桑畑から拾ってきた枝や切り株を割ったものだった。そして湯を沸かしてもち米を蒸すのがクドに与えられたおそらく唯一の仕事だっただろう。

小学生にとって、火遊びというのは何よりも興奮する遊びなので、クドには片っぱしからいろんなものを放り込んだ。古新聞やゴミ箱のゴミなど、絶対にダメだといわれたものも、親の目を盗んで放り込んだ。煙の色を見ればすぐにばれるのだけど、懲りずにいろんなものを放り込むのが楽しかった。

冬の寒い土間の部屋がクドに火を入れてから暖まっていくのが楽しかった。それになにか仕事を任されるというのも楽しい理由だったかもしれない。もしも今でもクドがあったとして、年に数回程度なら、またクドで料理をするのもいいかもしれないなと思う。

竹細工部屋のこと

家の中を掃除した。もうしばらく使っていない部屋を覗いてみた。埃まみれで、今は物置としか使われていない。その部屋は私が小学生の頃まで、祖父や曾祖父が竹細工をする作業場として使われていた場所だ。

小学校から帰ると私はいつもそこへ行って一緒にテレビを見たりした。部屋の真中には囲炉裏があって、いつも竹輪を焼いてくれた。囲炉裏と言っても粗末なもので床板を外すと地べたが出てくるというようなものだった。そこで焼いた灰まみれの竹輪のことは今でも良く覚えている。

その竹細工が「大桑竹細工」という名前で岐阜県の郷土工芸品に選ばれていることを最近になって知った。祖父らが作っていたのは、しょうけのようなものが主だったと記憶している。作ったものを買い付けに来る人がいたけれど、出来損ないなどは我が家で使っていた。今は何軒ぐらい竹細工をやっている家があるのかしらない。もうほとんどいないのかもしれない。

その部屋を覗くたび、当時のことを思い出す。懐かしいなあ。

G党女子中学生に遭遇する

Tokyo Dome 2003
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近所の本屋で久しぶりに月刊ジャイアンツを見つけて読んでしまった。ジャイアンツファンクラブに入って、月刊ジャイアンツも定期購読していた頃を思い出した。当時は松井のホームランカードやジャイアンツの勝利試合のカードが付いていた。それをハサミで切っていたことも懐かしい。原巨人V3なんていう特集雑誌がいくつもあったので夢中になって読んでいた。

この7,8年はナイター中継も全く見ていないので知らない選手ばかりになっていた。現役選手よりも監督やコーチのほうに親しみのある名前が多くなっていた。新聞のスポーツ面はほとんど読まなくなってしまったし、プロ野球ニュースもまったく見ていない。いつ頃からかナイター中継も減ってきたそうだし、私だけでなくて、野球の人気そのものがなくなってきているのかと思っていた。

でも実はそんなことはないみたいだ。本屋で何冊か手に取っていたところ、隣に中学生がやってきて、巨人優勝特集の雑誌を読みはじめたのだ。しかも女子中学生だ。そのうちに原巨人V3やらそこにある何種類もの特集号を手にとって見始めたのだから驚いた。こちらもじろじろ見るわけにもいかないのだけど、気になったので斜めからのぞいたところ白黒のページを読んでいたみたいだった。そんなページまで読むようなファンがいるなら、野球はまだまだ最も人気のあるスポーツに違いない。