見たことがあるようで違う茶碗

鼠志野茶碗

どことなく見たことが、あるような、ないような、鼠志野の茶碗だと思う。銘は潔く「峰紅葉」だ。本当のことを言うと、この茶碗は陶芸体験教室で作って、つい最近になって完成して送られてきたものだ。形は全く似ていないけれど、そういうことを気にしてはいけない。

陶芸「体験」なので、茶碗を作る過程で私がやったというのはろくろで形を作るだけだ。だから形はまったく似ていないのだ。ろくろでこれだという形が決まったら、釉を自分で選ぶことができた。形が決まったといってもこれ以上触ったらぐちゃぐちゃになりそうだから手を打ったというほうが正しい。ともかく釉薬は鼠志野を選んだのだけど、そのときに思い出したのが峰紅葉という名のついている茶碗だった。正直にいえば、鼠志野の茶碗といって、これしか浮かばなかっただけなのだけど。直前に本で見たのがその茶碗だったのだから、そんなもんである。ともかく「亀甲の絵の有名な茶碗で・・・・・・」と言ったら「峰紅葉ですか」と言ってもらえた。そんないきさつから、「そんな感じに仕上げてください」と頼んでしまったのだ。

それはさておき、愛知県陶磁資料館では10月3日から11月23日まで「志野・黄瀬戸・織部のデザイン」が開催されていて、そのなかに峰紅葉の茶碗もあるみたいだ。ほかにもいろいろあるみたいで、美濃焼の茶碗が大集合という感じなので、なんとか足を運びたいと思う。やはり、写真で見るのと、本物を見るのとではなにかが違うらしいということが分かってきた。たとえガラス越しでも感動できるのはやはり本物なのだ。そのときはわけがわからず周りに合わせて感嘆しておくとしても、あとからじわりじわりと思い出しては膨らんでくるなにかがある。ますます行ってみたくなってきた。

牛丼屋のカレー

DSC_2720.JPG
Creative Commons License photo credit: autan

実は私は牛丼があまり好きではない。牛丼が好きでないのか牛丼屋が好きでないのかははっきりしない。柳ケ瀬の吉野家にいい思い出がないのは確かだ。狂牛病騒ぎで牛肉絶滅の危機なんていうときに、牛丼屋に行列を作るひとの気持ちは全くわからなかった。それは自分が牛丼を好きでないことを知っていたからだろう。ただ、あの騒動のおかげで、牛丼以外のメニューが増えたのはうれしい。

いつの間にか帰り道にできていたすき家に立ち寄った。そこで、食べたのがカレーなのだ。牛丼屋のカレーがなかなかおいしかった。もはや牛丼なんてメニューにいらないと思う。店に入ったのも看板に牛丼と並んでカレーと書かれていたからなのだけど、看板に書くぐらいだから昔からやってたのだろうか。なか卯は看板にいろいろ書いてあって牛丼屋なのか何屋なのかわからないけれど、すき家は牛丼とカレーだけが書かれていた。

すき家に入ったのは初めてだったけど、店内は悪くなかった。広々としていたのが良かった。ただたんに郊外にあるから広かっただけかもしれない。24時間禁煙だし、カウンターではない席もあるし、それになにより水が麦茶だ。はじめは汚れたコップに水いれてきたのかと思ったので、突き返してやろうと思った。紛らわしいから気をつけないといけない。その店はドライブスルーが人気みたいで店内で食べる人数よりも多そうだった。ドライブスルーで牛丼なんて買ってどう食べるんだろう。ハンバーガーみたいには食べられないだろうに。ゴミはどうするんだろう。家に帰ってから食べるんだろうか。

ところで、すき家は店舗数で吉野家を抜いてナンバーワンらしい。吉野家が一位だというのは全くの思い込みだったなんて、そんなこと今日まで知らなかった。松屋はどこに行ったのだろう。松屋は味噌汁がついたはずだ。カレーにも味噌汁がつくのだろうか。カレーは好きなのでおいしいカレーなら食べてみたいと思う。すき家でのカレー体験は今後も、いろんな牛丼屋でカレーを食べてみるきっかけになりそうな気がする。

G党女子中学生に遭遇する

Tokyo Dome 2003
Creative Commons License photo credit: toyohara

近所の本屋で久しぶりに月刊ジャイアンツを見つけて読んでしまった。ジャイアンツファンクラブに入って、月刊ジャイアンツも定期購読していた頃を思い出した。当時は松井のホームランカードやジャイアンツの勝利試合のカードが付いていた。それをハサミで切っていたことも懐かしい。原巨人V3なんていう特集雑誌がいくつもあったので夢中になって読んでいた。

この7,8年はナイター中継も全く見ていないので知らない選手ばかりになっていた。現役選手よりも監督やコーチのほうに親しみのある名前が多くなっていた。新聞のスポーツ面はほとんど読まなくなってしまったし、プロ野球ニュースもまったく見ていない。いつ頃からかナイター中継も減ってきたそうだし、私だけでなくて、野球の人気そのものがなくなってきているのかと思っていた。

でも実はそんなことはないみたいだ。本屋で何冊か手に取っていたところ、隣に中学生がやってきて、巨人優勝特集の雑誌を読みはじめたのだ。しかも女子中学生だ。そのうちに原巨人V3やらそこにある何種類もの特集号を手にとって見始めたのだから驚いた。こちらもじろじろ見るわけにもいかないのだけど、気になったので斜めからのぞいたところ白黒のページを読んでいたみたいだった。そんなページまで読むようなファンがいるなら、野球はまだまだ最も人気のあるスポーツに違いない。

申年生まれとしては

と
Creative Commons License photo credit: mackz

どうしても猿が気になるのである。この間は大学への通り道でなんと猿を見かけた。こんなところにまで出てきているとは驚いた。そういえば去年の今頃は猪の親子を見かけたこともあった。車の中から見ただけなので全く怖いことはなかった。とうぜんのことながら猪はぬいぐるみよりも実物のほうがずっとかわいらしい。収穫の季節になるといろんなものを食い荒らしていくみたいだ。畑の周りには猪除けの囲いがよくあるのはそのせいだろう。獣たちは人が見ていないところで実はかなり街のほうにまで出没しているのかもしれない。

十二支に出てくる動物を考えてみたけれど、意外といろんな動物を見ているものだときがついた。唯一見ていないのが辰である。竜なんて今後も見ることはないだろう。そう考えると辰年の人はかわいそうだ。ウィキペディアによると亥は猪ではなくて豚でもいいらしい。だけど豚年ってのはいい気がしない。

ところで申年の五行は「金」があてられているけれど、これは金星のことだろうか。金星といえばいまの総理大臣の奥さまが金星人だったはずだ。こういうのをまじめに見ていくと実は結構おもしろそうだと前から思っていた。これを機にちょっと調べてみたいと思う。

ハンガーヌンチャク

https://www.youtube.com/watch?v=ppyYl51Ujns

今日は新しいハンガーを買った。ながしおのハンガーはオススメだ。その帰り道に立ち寄った本屋で手に取った雑誌に載っていたのが、武田鉄矢の「刑事物語」のDVD発売の広告だった。刑事物語といえばハンガーヌンチャクに決まっている。今日はハンガーの日だと一人で興奮してしまった。

実は武田鉄矢のことがしばらくの間あまり好きになれなかった。それは「3年B組金八先生」の姿をつい連想してしまうからだ。武田鉄也の代表作といえばやはり金八先生なのだろうけれど、武田鉄矢はそれ以外での演技のほうがよっぽどいいと思う。金八先生の武田鉄矢はやりすぎで不自然だ。武田鉄矢はどこか芝居くさいところがいいんだけど、坂本金八はやりすぎだと思う。ほかのドラマや映画では本当に凄い俳優なだけに残念だ。

武田鉄矢といえば「101回目のプロポーズ」が今でも忘れられない。大河ドラマの太平記での楠木正成も好きで、楠木正成といって思い浮かぶのは私の場合はなぜか武田鉄矢の顔なのだ。そんな出演作の中でもとくに印象的だったのは刑事物語だ。ハンガーヌンチャク以外も、とても面白い映画たった。テレビの何とかロードショーで見ただけなのだけど、いくつかのシーンをよく覚えている。youtubeで見つけて懐かしく感じた。また見たい気もした。

彼のオートバイ、彼女の島

連休だったので、ビデオレコーダーに録りためた映画を見ようと思った。録画したままの映画はもう1年近く前のものまである。どれから見ようかと思ってちょっとネットで検索していたら、gyaoがyahooの一部になっていたことを知った。たまたまそこで見つけてしまい見てしまった映画が「彼のオートバイ、彼女の島」だ。レコーダーの映画を消化するはずができなくなってしまった。

そもそもなんで映画を見る前にネットで検索するのかといわれるかもしれない。私はいつも映画はあらすじを知った上で見たいのだ。話の展開を知っていたほうが映画は楽しいと信じているからいきなり映画を見るなんてできないのだ。一通り展開を知っていないといけない。だからネットで「ネタバレ」なんて書かれていても気にせず読んでしまう。そのほうが映画を100パーセント楽しめる。知らない人は試してほしい。

肝心の映画はというとカワサキのバイクが中心である。原田貴和子と竹内力の二人だけのシーンが特にいい。この映画を見ようと思った理由が頭に張り付けてある予告編をyoutubeで見つけてしまったからだ。こういう予告編が私は好きだ。字幕というかタイトルというのか、あの文字の出てくる感じが大好きだ。映画館にはもう長い間行っていないけれど、この予告編を見て映画館に行きたいと思った。テレビのCMで見る予告編というとおすぎとピーコが叫んでいるようなものばかりで、これでは映画館に行こうという気分にならない。だけど、こういう予告編を見たらみんな映画館に行きたくなるのじゃないかと思う。映画の予告編はどれも素敵だからまたyoutubeでいろいろ探そう。

利平栗と五木ひろし

httpv://www.youtube.com/watch?v=-dccBbAT_Ac

わがふるさとの数少ない名産品である利平栗の収穫が始まっていたみたいだ。岐阜新聞にのっていた。

利平栗甘さ“全開” 山県で収穫ピーク
 2009年09月21日08:28 
 山県市大桑地区の特産の利平栗(りへいぐり)の収穫が、最盛期を迎えた。秋空に向かってチョコレート色の実がいがの割れ目から顔を出し、実りの季節を告げている。
 利平栗は、わせ品種に比べて大きく、甘い実が特徴。60年以上前から無農薬で栽培している矢島満さん(75)の畑では、5日ほど前から実が落ち始めた。
 今年は、6月の開花時期に降った長雨の影響でやや小粒だが、矢島さんは「味は申し分ない」と太鼓判を押す。実が次々と木から落ち、収穫作業に追われていた。
 利平栗は、岐阜市の市場などに出荷されるという。

ところで利平栗は世界一の栗だ。だから一度でも利平栗を食べるとほかの栗はもう食べられなくなってしまう。それほどにおいしい栗なのだ。

ちなみに今年は10月3,4日に「ふるさと栗まつり」という山県市では最も大きなイベントがある。ことしはなんと、あの五木ひろしが来るらしい。五木ひろしといえば長良川艶歌だから、岐阜が好きなのだ。五木ひろしは気になる。

稲刈りもやってるし、田舎の秋はいそがしい。

クリの無料つかみどり「山県市ふるさと栗まつり」
2009年10月02日

 3、4日に山県市大桑の四国山香りの森公園で開催される里おこしイベント「山県市ふるさと栗(くり)まつり2009」(同実行委員会主催)のPRキャラバンが岐阜新聞本社を訪れ、来場を呼び掛けた。
 大粒で甘みが強い利平栗発祥の地として知られる同市では、特産品のクリの収穫時期に合わせて栗まつりを開催。3日は午後4時30分から前夜祭が開かれ、打ち上げ花火や歌謡ショーを行う。
 4日は午前9時から。一番人気の無料つかみどりは1日3回。収穫したばかりの地元産利平栗や筑波栗を計450キロ用意。歌手五木ひろしさんのコンサートやキャラクターショーなどもある。
 「栗おこわ、栗きんとん、マロンフライ、マロンアイスなど地元産のクリの味覚も味わって」とキャラバン隊は話していた。

マロンフライってなんだろう。

ビニ本なんて買えないぞ

Arranging the Yaoi

近所の、といってもクルマで10分ほどの場所にある三洋堂書店に行った。マンガコーナーに行って気がついたのはなんと、すべての単行本にビニールで包装されていて、中身が見えないのだ。このあいだ自由書房で不思議に思っていたけれど、どうやらほとんどの本屋でこうなっているみたいだ。なんでこんなことをしているのかわからない。やめてほしい。わざわざ車を運転して行ったのに、何なんだいったい。

理由を考えてみた。中身が青少年にふさわしくないから見えないようにしているのだろうか。そんなことはない。身分証を見せなくても買うことができる。立ち読みだけして買わないからだろうか。立ち読みしたらなおさら買いたくなるものだと私は思っている。ヤフー知恵袋などによると、どうやら本が汚れないためらしい。平積みの本っていうのは一番上は立ち読み用だと思っていた。二冊目以降をレジに持っていくものだと教えてあげねば。

だいいち本屋にとっても中身が見えないせいで売るチャンスを逸しているはずだから、損だろうと思う。汚れている本で困る人と、中身が見られなくて困る人はどちらが多いのだろう。売上を上げるためのビニール包装なのか、売上を落とすためのビニール包装なのかはっきりしたほうがいい。ともかく私は中身がわからない本を買うなんてできない。表紙カバーだけを見て本を買う人とは一体何なんだ。その前巻を知ってなきゃ買えないなんて、1巻はどうやって買ったらいいんだ。どんなに評価の高い古典といわれる文学作品でも、表紙だけではなかなか買えない。名前だけ、表紙だけで買うという人は、そもそもアマゾンで買えばいい。わざわざ本屋に行く意味はないだろう。ビニール包装した本なんて、リアル本屋の存在意義を自ら放棄しているぞ。アマゾンですら中身が見えるようになってるってのに、もっと高速でページめくりができるのが本屋の良さだろう。それなのにもったいない。

魔の交差点

(s)top
Creative Commons License photo credit: thewhitestdogalive

我が家と大学とのちょうど中間地点に魔の交差点がある。この交差点のせいで私は何度も後悔したものだ。その交差点は左折すると大学に向かう。右折すると家に戻る。直進すると関係ない場所に行ってしまう。だから直進さえしなければいいんだけど、ときどき直進してしまうのだ。

問題なのは直進すれば大学にたどり着くというわけではないところだ。直進して大学に行けるのならこの交差点に泣くこともなかったと思う。その交差点の前に5分ほど道なりに走るようになっている。だからそのままついつい直進したくなるようになっているのだ。しかも直進したら最後、しばらく引き返すことすらできないようになっている。だから一度その交差点を通り過ぎるとどんなに後悔してももう遅いのだ。引き返すことができないからそのまままっすぐ進むしかない。そんなときだけ私はあきらめがよくてその日はあきらめるしかないと思っている。

この間もそのせいで2時間ぐらい貴重な朝の時間を無駄にしてしまった。あの日は雨が強くひっていたのがよくなかったと思う。視界が悪すぎて曲がる気が失せてしまった。あの交差点は何とかしてほしいとおもう。

VISAも使えないぞ!

go
Creative Commons License photo credit: melvelez

 このあいだはJCBが使えない信じられない店に出くわしたということを書いた。だけどやっぱりVISAが使えないお店もあるのだ。そもそも私がJCBカードを愛用するようになった理由がVISAもMasterCardも使えなくてJCBだけって店をよくい労していたからということなのだけど、JCBだけ受け付けますという店はいまでもまだまだたくさんあるようだ。

 JCBが使えな買った一件以来VISAを財布に入れておくことにした。両方入れればいいのにというかもしれないけど、そうすると財布が分厚くなってスマートじゃない。今度はVISAにかけてみようと思ったのだ。が、しかしVISAはその期待にこたえてはくれなかった。うまくいかないものだ。その店はJCBしか使えないんですよというのだ。

 ところで、あのファミリーマートっていうのは何なんだ。「カード使えます」というから差し出したら「ファミマTカードしか使えません」と来た。なんなんだ、いったい。ここは会員制高級コンビニクラブか。ファミマTカードなんて店員ですら見たことないだろう。コンビニといえばセブンイレブンも困ったものだ。「クレジットカードは一切使えません」だそうだ。日本で一番数が多いコンビニらしいけれど、弁当の値下げも許さないらしいし、クレジットカードの使用も許さないし、困ったものである。コンビニには潔さが必要だと思う。

 おそらくMastercardはVISAと似たような状況だろう。となると、AmericanExpressかDinersを使えってことなんだろうか。この二つは使えるところさらに少なそうだ。第一そんなカード持っていない。こうなったら、使える場所が多いとか少ないとかではなくてもっと別の観点から持ち歩くカードを選ぶべきだということかもしれない。

flickrに1000枚

集合住宅 apartment buildings
Creative Commons License photo credit: Yuya Tamai

 flickrにアップロードした写真がついに1000枚に達したことに気がついた。こんなことに気が付けるなんて幸運だ。

 デジタルカメラ時代だからこそ、写真をアップロードするのは簡単だし、とても便利だ。写真をアップロードする理由は知り合いと共有するためなのかfacebookを使っている人が一番多いそうだ。自分はプロ並みの写真を撮るからflickrを使うしかないと思う、と言っている人がかつていた。flickrはいつの間にかbetaではなくなってgammaでもないのだけど、いまもbetaのように毎日あたらしくなっていてとてもうれしい。

 問題はフイルムの写真をどうアップロードするかということだ。フイルムカメラにはデジタルカメラにないものがある。写真を撮るというのは素人にとっては結局は楽しみなので、便利さだけではデジタルを選べないのだ。冷蔵庫のコダックのフィルムとフジの写ルンですのためにも、フイルム写真をなんとかかんたんにデジタルにしてアップロードする方法を見つけたい。安上がりな方法だとなおよい。

 もっとましな写真が撮れるようになればいいのだけど、上達の兆しはない。私淑する友人のようにウマい写真が撮れるといいんだけど、相変わらずコンビニの写真ばかり撮ってしまう。今後もケータイ片手に色々な写真を撮ってアップロードしていきたいと思う。時にはカメラを首にぶら下げてもっとましな撮りたいと思う。2000枚に達したときにはもうちょっと人に見せられるな写真が増えたら嬉しい。

ガラスのギラギラ

IMG_0007
Creative Commons License photo credit: Debs Koritsas

このところ車のフロントガラスのギラギラが気になっていた。なんだろうと検索したらこれはどうやら油膜というものらしい。ワイパーの跡のようなものがうっすら見えるのだ。ワイパーの跡ぐらいならまだいいのかもしれない。もっと困っているのは後ろのガラスだ。いつの間にか雨水の流れた跡のようなものがうっすら見えるようになっていた。後ろのガラスにはワイパーが付いていないからだろうか。雨の日は後ろが見ににくくて危険だ。

この油膜はひどくなると、晴れの日でも「夜間には対向車のライトが乱反射して見にくくなる」そうだ。そんなことになる前に何とかしなければ。だけどこういうのはかなり面倒くさい。もっと簡単な方法はないものだろうか。ガソリンスタンドではそういうサービスはしていないのだろうか。そういえばガソリンスタンドも最近はセルフ給油スタンドばかりで、窓ガラスもまともに拭いてはくれない。そのせいで窓ガラスが汚れているのかもしれない。

ともあれ、こちらの商品の動画では、キイロビンとブルビンというのを勧めている。ふざけた名前の商品なのであまり使いたくないけれど、致し方なしか。とりあえずこれを使ってみて、効果があることを祈るのみだ。

JCBカードが使えないなんて!

Lucky cat
Creative Commons License photo credit: James Cridland

驚いたことにJCBの使えないお店に出会った。正確にはVISAやMasterCardは使えるのにJCBはだめだというお店だ。ヒルマン監督もシンジラレナ~イ瞬間だった。

私はいつごろからかクレジットカードが好きになった。クレジットカードでなくてもいいのだけど、現金で決済するのが嫌いになった。小銭が増えて財布が分厚いのは好きになれない。小銭が嫌いという理由がクレジットカードを使いだした理由だからコンビニでジュースや弁当を買うような少額の決済の時こそ、クレジットカードの活躍の場なのだ。

そんなカードの中でJCBをいつも持ち歩くようになったのは、大学の近所の本屋がJCBしか使えなかったからというだけだ。しかし、そのいつもの場所で使えるという事実が重要だった。JCBこそ日本で最も使えるカードだと聞いていたのにまさかJCBだけ仲間外れにするお店に出会うなんて驚いた。アムステルダムでも大人気だというのに、日本で使えない場所があるなんて悔しい。それでも私はJCBを使おうと思う。

わたせせいぞう体験

httpv://www.youtube.com/watch?v=x5-MDTgUm7U

きょうの帰り道、わたせせいぞうの漫画に出てくるような女性を見た。サックスブルーのワンピースに麦わら帽子をかぶっていた。帽子には黄色い花が咲いていた。まるで「ハートカクテル」の回想シーンのような雰囲気で思わず見とれてしまった。大学のすぐそばの農道の出来事なのだけど、なんだか幸せな気分になれた。いったいだれだったのだろう、大学生のような気もする。ほんとうに久しぶりのわたせせいぞう体験で、おもわず電柱に車をぶつけそうになった。それぐらいに目を奪われてしまったのだ。

私はこんな瞬間を「わたせせいぞう体験」と呼んでいる。わたせせいぞうの漫画のワンシーンのような光景を見ると、それだけで私はとても幸福になれるのだ。本屋で「ぴあ」の表紙を見るたびに、実際にこんなことがないものだろうかと思っている。そういうわけで、岐阜にもわたせせいぞうがいるのだと知るとうれしくなってしまうのだ。

こういう光景は探しに行ってしまっては面白くないのだと思う。全く忘れてしまって、そんなことを気にもしていないときにはじめて、わたせせいぞうの世界に引き込まれる瞬間がやってくるのだ。またそんなわたせ体験をしたら報告したいと思う。

「道の駅織部の里もとす」と「織部展示館」

道の駅 織部の里もとす Michi-no-Eki Oribe no Sato Motosu

ずっと気になっていた「道の駅織部の里もとす」と、そのなかにある「織部展示館」に行ってきた。この道の駅は行ってみる価値があった。まず、立派な山門が出迎えてくれるので通り過ぎることはない。そして、その中に「織部展示館」という古田織部や織部焼を紹介する展示館がある。これがなかなかいい展示館だった。

織部展示館の入場料は300円だった。300円がもったいないのか入らない人がいるおかげで、展示館の中は騒々しくもなく、落ち着いて展示物を見ることができてちょうどいいと思った。そんなことより、この展示館に入ってすぐに出迎えてくれるのが、私が気になっていると言っていた「『泪』の茶杓」だ。正確にはその複製品だ。その泪の銘の茶杓と、古田織部が千利休の位牌代わりに拝んだという真っ黒の漆塗りの筒と共に置いてあった。複製品とはいっても、これを見て感激した。茶杓の展示のすぐ下の解説によると、千利休は切腹に際して古田織部と細川三斎に茶杓を送っていて、それぞれの銘が「泪」と「命」だそうだ。この銘はのちの時代になって与えられたものらしい。

道の駅の中にある展示館としてはなかなかの出来だと思った。たしかに財政的に限りのある中ではあるものの、写真と実物とがをうまく組み合わされていて、解説がなかなかうまいおかげもあって、古田織部という人がどういう生涯を送ったのかをよく知ることができた。茶人としてではなく、戦国武将としても古田織部は活躍していたのだと知ることができたのが私にとっては大きかった。展示館のなかには古田織部のほかに、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の像もあって、そしてその三人が古田織部について語ってくれるという趣向は私の好みにも合って興奮した。

この道の駅では「織部焼の絵付け体験」や「そば打ち体験」などもあって楽しいところだと思う。数は多くないものの駅の中では織部焼も売っている。それに道の駅と言えば定番の、新鮮な野菜や果物といった農産物などの特産品もあった。「織部の里の米」というお米まで売られていた。それからこの夏の時期なので、カブトムシやクワガタがたくさん売られていた。オオクワガタが5000円以上で売られているのを見たのは初めてだったので少し驚いた。私は食べなかったけれど、この道の駅では「織部薬膳弁当」や「織部正定食」というのがかなり人気らしい。それに、そばは注文を受けて打っているので、時間は少しかかるけれど味には自信ありとのことだった。

野菜ジュースはトマトが基本

CA310108
Creative Commons License photo credit: iyoupapa

野菜ジュースの世界では常に二つの勢力が争っているような気がする。トマト派とニンジン派である。野菜ジュースのベースとなるべきはトマトか、あるいはニンジンか、これまで幾度となく議論されてきた。双方の言い分はわかるのだけど、ここで結論を下すことにする。野菜ジュースのベースはトマトが基本だ。野菜ジュースは嗜好品だから各人の嗜好に合ったものがいいなんてことではいけない。

どうしたらいいのかわからなくなった時はとりあえずWikipediaに頼るべし。なんと、野菜ジュースに元祖があるらしい。キャンベルのV8野菜ジュースこそが野菜ジュースの元祖らしい。ちなみにこのV8野菜ジュースは、私も飲んだことがるけれど、間違いなくトマトベースの野菜ジュースである。

元祖がトマトベースと知れたとなると、次なる疑問は本家はどちらかということになる。何を基準に本家野菜ジュースを決めたらいいのだろう。とりあえず、gooランキングをみる。どうやら本家はカゴメ野菜ジュースということらしい。こちらもトマトベースである。というわけで元祖も本家もトマトだった。

それでは今後はどうしたらいいのか考えてみた。野菜ジュースの基本がトマトだとしても、ニンジンベースの野菜ジュースも根強い人気がある。そういうわけで、トマトベースの野菜ジュースが好きな人が今後さらに自信を持って飲み、ニンジンベースが好きだという人が今後はトマトベースの野菜ジュースもたまには飲むようにするのが、ちょうどいい加減だと思う。

ほっともっと

ほっともっと Hottomotto

よく通る道にほっともっとができたのでときどきお世話になっている。コンビニと違って注文した弁当をその場で作ってくれる。つくりたてなのだからおいしそうな気がしている。それにコンビニよりも弁当の種類が多いのもいい。メニューにあるものを言えば作ってくれるのだから種類が多いのも当然か。それに注文を受けて作るから売れ残りの無駄がないのだろう。そのせいで値打ちな価格で売ってくれるのだろうか。

ただ、いつも気になることがある。注文した弁当によっては、出来上がるまでに時間がかかることだ。いや、時間を待つこと自体は何とも思わない。待つといってもせいぜい数分程度のことだ。店内の広告などを見ていれば時間なんてあっという間に過ぎる。気になるのはその待ち時間にほかにも客がいた場合だ。そんなに広くない店内で弁当の出来上がりを待つ別の客と一緒になるとうのはどうも苦手だ。弁当を買いに来た客に話しかける理由もないし、どうやり過ごしたらいいのかわからない。私がよく行くほっともっとには窓際に椅子がある。だからといってそこに座ればいいわけでもない。すでに誰かが座っている隣にまた座るというのは勇気がいるのだ。そうはいっても、立って待っているときにまた別の客がやってきたら、注文の邪魔をしているようで申し訳ない。

弁当屋だけでなくて似たことはよくある。どうしても逃げられない一か所にあかの他人と居合わせた気まずさは理解してもらえると思う。とりあえずほっともっとで、そういうときにどうするものか試行錯誤してみることにする。いい方法を見つけたら報告したい。あるいはいい方法があったら教えてほしい。

袋めんにはソーセージ

ネットオタクなら一日一回はYouTubeを覗くだろう。私もそんな一人である。そのYouTubeの中でも特に面白いのがtontantinのチャンネルだ。これまでに何度感動したことだろう。即席ラーメンを30秒程度でひたすら紹介するだけなのだけれど、これがまた一度開いたら必ず最後まで見てしまうというすごいビデオぞろいなのだ。

即席ラーメンといってもこのtontantinではカップめんと袋めんの両方を紹介している。しかし特に注目すべきは袋めんのほうだろう。たいていのビデオは

3D形状確認 → 内容物確認 →  キャベツはオプション →  ゆで開始! →  粉末スープ投入! → 随時撹拌!(ソーセージはオプション) → 盛付け! → 完成!

という構成である。しかしここで、ちょっと気になることがある。「キャベツはオプション」と「ソーセージはオプション」である。「オプション」といいながらこのtontantinはいつもキャベツとソーセージを入れているのだ。なにか深い理由があるのかもしれない。理由はわからないけれど、不覚にも私は影響されてしまった。いつごろからか、キャベツとソーセージのない即席ラーメンは不完全なものにさえ見えてきてしまったのだ。

とくにソーセージにかなりこだわりがあるような気がする。なんとNo.3521 日清食品 チキンラーメンでは、完成するといきなりソーセージが登場するのだ。全国的に即席ラーメンにはソーセージというのは受け入れられているのだろうか。いまのところその真偽を私は知らない。ともかく、キャベツを切るのは時間も手間も面倒だから省略するとして、ソーセージはただ麺と一緒にゆでるだけだから誰にもできそうだ。即席の名を否定しないソーセージは即席ラーメンには似合っている。ただ、ソーセージ以外でもいいような気もする。知っている人いたら教えてほしい。

コンビニ弁当ナビ

ヤマザキデイリーストアー Yamazaki Daily Store

毎朝必ずチェックしたいサイトがある。それがウワサのコンビニ弁当ナビである。これを見てから、今日向かうべきコンビニを決断する。決断というほど大げさなものではないけれど、どんな弁当を買うかは毎朝の悩みなのだ。このサイトのおかげでコンビニに行くのが楽しくなる。

コンビニ弁当が好きになってもう10年ほどになる。最近ますますコンビニで過ごす時間が増えてきたような気がする。弁当を買おうと思って入ったのにすぐに決められないのも大きな理由である。わたしはコンビニでめん類を買おうという気持ちになることは少ない。たぶん、めん類だけでは満足できないと思っているからだと思う。

これまでの経験からコンビニ弁当について言えることがいくつかある。思いつくままにあげてみる。

・企画物弁当は値段が高いばかりで、おいしいことはめったにない。
・「肉」がメインの弁当は塩分取りすぎになると思う。
・肉の下に敷かれたスパゲッティは脂ぎっている。
・400円以下のお買い得な弁当は揚げ物が多い。
・500円台前半の弁当はたいていおいしい。
・弁当についてくる漬物はいらない。
・どのコンビニでも幕の内弁当は悪くない。

もうちょっとまとめて書くことにする。それまではコンビニ弁当ナビを参考にいろいろな弁当を食べたいと思う。

夏の夜は

*
Creative Commons License photo credit: yamaken

小倉百人一首の36番に

夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ

というのを見つけた。当時の月は雲の裏に隠れていたのだろうか。夏は夜が短くて月の活躍することも少ないから、少々隠れていてもいいということなのだろう。ところで、明日は日食だそうで、今度はその月の裏側に太陽が隠れるということらしい。ややこしい。月も太陽も面倒くさい。

これは、清原深養父という人の歌で、ちなみにこの人

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

と歌っていた清少納言のご先祖様に当たるという。二人揃って難しい歌を詠むものだなあと思う。清少納言の言うとおり「夏は夜」が好きだ。きょうのように雨が降っているのはさらに好きだ。夏の映画で必ず雨のシーンがあるのはやはり雨の日が好きだからだろうと私は勝手に思い込んでいる。ただ暑いだけの夏は嫌いだ。日食で太陽が隠れても涼しくはならないだろう。エリカ様も日本に帰ってきたことだし、私も少し気になっている。

私をペルーに連れてって

Lima
Creative Commons License photo credit: yuichirock

友人がペルーのリマにいるみたいだ。しかもミラフローレスとは、偶然だ。私もいつかは行きたい所なのだ。

リマのミラフローレスは私の文通相手が住む町だ。時々に便りをくれて、そんな時には距離を感じることはない。だけどやはり地球の裏側なのだ。当然のことながらめったに行けるものではない。得られる情報も非常に限られている。遠く手が届かないという渇望する気分が私には常にあった。

そんなときにflickrでペルーの写真を見た。文通相手も時々写真を送ってくれるものの、そこがどんな町なのかよく知らない。そんな知らないでいるがいいのかもしれない。そうはいっても写真で見ることは少なかったからこそ、写真を見たときには驚いた。友人が岐阜に来た時にはどんな町か教えてもらおう。五感にどう訴える街だったのか知りたい。

エルヴィスとの出会い

いつかもブログに書いたように私のお気に入りはエルヴィスだ。そのエルヴィスとの出会いは2003年のことだ。

それ以前からもちろん、エルヴィスの名前も、世界で最も成功した歌手だということも知ってはいた。だけど、曲を聴いてみようとは考えもしなかった。だけどあるとき偶然に、ネットサーフィンをしていたら見つけてしまったのがELVIS 2ND TO NONEのサイトだった。あまりにカッコよすぎた。これを見たらもう、好きにならずにいられない。さっそくこのCDを買った。

そしてしばらくして、このCDアルバムがELV1S 30 #1 HITSに引き続いて編集されていると知り、迷わずこちらのCDも買った。これまた最高のアルバムだった。そんなわけで、いまも私にとってこの二つのCDは特別で、常にカーオーディオに入っている。

パスポートのサイン

ついにパスポートを取得した。これでいつでも海外に行けるようになった。ところでパスポートの申請の時にちょっとした悩みに突き当たった。サインのことである。パスポートの一番大事そうなページに「所持人自署」という欄がある。ここに乗せてもらうサインをどうするかというのは大きな問題なのである。何せ10年物のパスポートだ。10年以内に後悔するようなサインを書くことはできない。いったいどうしている人が多いのだろう。

とりあえず漢字で書くというのを思いつく。いや、海外に行くのだから英語のほうがいいのではないかとも考えた。この場合、英語といわずにローマ字というべきなのだろうか。いやいやそもそもその二択ではないぞということにも気がついた。ひらがな、カタカナというのだってある。だいいち自分の名前を書く必要だってあるのだろうか。戦国大名の気分で花押にするのも悪くはなかろう。

クレジットカードの裏のサインだって実は結構難しい話なのだ。私のカードは作った時期で色々だ。姿勢を正して楷書の漢字で書かれたものもあれば、カッコつけて英語の筆記体のもある。こういうのはよくない。統一したほうがいい。それにしてもサインの欄はどうして横書きなのだろう。横書きだと日本語を書くのは不便だ。漢字と横書きの相性はよくない。楷書ならまだしも行書や草書で横にかけってのはちょっと無理がある。

いろいろ悩んだ末に、私は楷書で書くことにした。理由はまだない。

エコドライブ10のススメ?

エコドライブについてしばらく考えた後、どうしたらいいのか色々と考えた。色々ある中で「エコドライブ」で検索して最初に出てきたチームマイナス6%エコドライブ10のススメというのをとりあえず実行してみた。

1 ふんわりアクセル『eスタート』
2 加減速の少ない運転
3 早めのアクセルオフ
4 エアコンの使用を控えめに
5 アイドリングストップ
6 暖機運転は適切に
7 道路交通情報の活用
8 タイヤの空気圧をこまめにチェック
9 不要な荷物は積まずに走行
10  駐車場所に注意

すべてごもっともで、ガソリン給油の度に計算してみたところ、確かに効果的だった。なかでも「5 アイドリングストップ」は効果的だった。とくに、信号待ちでエンジンを停止することだけでも徹底したら燃費が5パーセントは向上した。ただし、こうするとエアバッグなどが作動しない危険があるということなので諦める。「4 エアコンの使用を控えめに」については残念ながら実行できない。これからますます暑くなるというのにエアコンを我慢するなんてできない。窓を開ければエアコンいらずというのも嘘っぱちだ。暑いものは暑い。それに窓を開けると空気抵抗が増してますます燃費が悪くなるじゃないか。

「7 道路交通情報の活用」は忘れがちだけど重要なことだ。渋滞を避けて運転することは爽快だ。渋滞に巻き込まれて頭が熱くなれば地球温暖化は加速するかもしれない。しして私がいま反省しているのは「9 不要な荷物は積まずに走行」である。クルマにはいつも荷持ちがいっぱいに載っている。見るからに美しくない。すべてきれいに掃除したい。自覚はしていてもなかなかできない。荷物が100キロ増えると3パーセントの燃費悪化ということなので、ふつうは関係ない。毎日クルマに相撲取りを乗せているような状況は考えにくい。むしろ見た目の問題か。

そういうわけで、運転方法でエコドライブにどう貢献するかはわかってきた。次はどのガソリンを入れるかが問題だ。当然のことながら値段も安くて燃費もいいガソリンを入れたい。最近またガソリンの値段が上がってハイオクは135円ほどだ。会員価格などといってここから割引があるところが多い。その価格でどこが安くて、クルマがよく走るかというところで比較したい。

お茶杓のご銘は?

いまは徳川美術館について予習の最中である。勝本師に教えてもらった徳川美術館の収蔵品はさすがだった。そんな名物ぞろいの収蔵品の中でも特に気になっているのが、千利休の作った茶杓である。つけられた銘は「泪」というから哀しげだ。この茶杓には物語があって…

天正十九年(一五九一)二月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえる。茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りに出来ている。千利休-古田織部-徳川家康(駿府御分物)-初代義直と伝来した。

なかなか生々しいなということで、なおさらこの目で見てみたい。だが残念なことに現在はこの茶杓は展示されていない。展示の時にもまた足を運ぶことにしよう。

茶杓に限らず名物には素晴らしい銘がつけられている。様々な銘を聞くたびにいろいなことを考えてしまう。写真だけでなく、実際にその茶杓を目にしたら忘れられないかもしれない。

人生意気に感ず

「人生意気に感ず」とは、唐詩選の最初にも出てくる魏徴の述懐の一部である。男というのは意気に感じて行動をするものであるようだ。これは述懐の最後の部分で、続いて「功名誰か復た論ぜん」としてこの詩を締めくくっている。そもそも功名心から行動するものではないのだ。

元はといえば、この詩を最初に知ったのは藤沢秀行という棋士が好きだったからなのだ。彼の本で初めてこの言葉を見つけた。本の題名がまさに「人生意気に感ず」だったのだ。その時すぐにはその言葉の意味はわからなかったけれど、とてもかっこいい言葉だと思った。なんという意味だろうと思っていたら、「述懐」という詩にたどり着いた。

藤沢秀行という人を私は新聞やテレビでしか見たことはないのだけれど、魅力あふれる人であったそうである。色々と人騒がせな人で、逸話も多い。だけど、そんな行動も何か意気に感じるところがあってのことだったのかもしれない。実は、私が囲碁を覚えて間もないころに何度か読んだ本を書いたのがこの藤沢秀行だった。それが理由かわからないけれど、囲碁の打ち方について以外の彼の本もその後も何冊か読んだ。藤沢秀行の盤上の打ち方は異常だったらしいけれど、その盤外の生き方も異常なことが多かった。意気に感ずるというのはどういうことなのか、もういちど考えてみたい。

敦煌

そんなにたくさんの本を読むのはなぜかと聞かれて、何度も読みかえしたくなる一冊を見つけるためだと答えた人がいた。あなたにとって何度も読み返したくなる本とは何だと聞かれても、私は答えにつまるだろう。そんな本に出会えたら幸せだろう。

ついこの間、本棚に井上靖の「敦煌」を見つけて、思わず読み返してしまった。この小説を初めて読んだのはそんなに昔のことではない。その時も、なぜだか急に読みたくなって本屋で買ってきたのだと記憶している。ところで私が小学生のころ、「敦煌」という同名の映画が公開されていた。その後テレビで放映されたものを私は見たのだけれど、それだってもうかなり昔のことだ。それなのに断片的な記憶はまだしっかりと残っていて、映画のいろいろな場面を小説を読みながら思い出した。

ともかく私はこういう小説が好きになってしまったようだ。この本では趙行徳という人間が色々な人間に出会い敦煌へと導かれていく。そんな趙行徳の生き方にあこがれながらも、運命とはそもそも何なのかというようなことを考えてしまう一冊だった。

黄金の信長像

黄金の信長像が岐阜駅前に建立されることになっている。しばらく前に新聞記事にもなっていたので気になってはいたけど、つい先日岐阜駅にてその場所が確保されていることを見て感激した。県都岐阜の玄関口についにそんなものができるということに喜ばずにはいられない。

南蛮趣味の信長公らしいものができるという。天下布武の旗印なのだからド派手に作ってほしいものだ。岐阜に降り立った瞬間、まっさきに目に入るのがこの黄金に輝く信長公なのだ。岐阜に来訪する人の心を鷲掴みにするものができることを願う。平凡な銅像の置かれた駅は全国にあるけれど、そんなものはいらない。そんな平凡なものは信長公にはふさわしくない。日本の中心たる岐阜から天下に号令する信長公であるなら、とにかく目立つことが大切だ。あまりの奇抜さに卒倒するぐらいがちょうどいい。

信長公の銅像を贈る会によると、

 岐阜市は、市制120周年という節目を迎え、県都の玄関口であるJR岐阜駅北口駅前広場が、今年の秋、いよいよ完成すると伺っております。その記念すべき年に、郷土の誇りである織田信長公の銅像を、北口駅前広場に寄贈したいと考えております。

 信長公は、永禄10年(1567年)「井の口」から「岐阜」へと地名を改めた「岐阜」の生みの親であります。また、楽市楽座など、新たな政策を取り入れ、岐阜のまちの発展に尽力した、岐阜の最も有名な人物のひとりです。

 寄贈する信長公の銅像は、マントを羽織り、右手に種子島、左手に西洋兜を持ち、その姿は常に時代の最先端を歩いた信長公の『変革』の象徴であり、都市再生を図る岐阜市の未来を表現するものとなっています。

 岐阜公園には、市政100周年を記念して、岐阜商工会議所から寄贈された、馬にまたがった「若き日の信長像」があり新しいまちである岐阜駅周辺と歴史ある岐阜公園周辺が、これら2つの銅像によって結び付けられる事により岐阜のまちが更に発展することを期待するものであります。

期待は膨らむばかりだ。とりあえず我々も寄付をせねば。

ブックオフ・使用上の注意

ブックオフは我らの味方である。とくに105円コーナーは強力な味方である。しかし、安いからとカゴについついいらない本まで放りこんでいることには注意しなければならない。本が安いからとブックオフに行くのに、お金を節約しようとブックオフに行くのに、いらないものまで買ってしまうのでは本末転倒だ。定価で買わないような本なら、安いからといって買う理由なんてないのだ。

読みもしない本を買う割合が多いのもブックオフだ。本屋で定価で買えば、たいていその日のうちに読み始める。だけど、ブックオフで買った本はその日のうちには読み始めない。なぜだ。本屋と違ってブックオフだと一度にまとめてビニール袋いっぱいに何冊も本を買ってきてしまうからだろう。本屋だとたいてい一日に買うのは一冊だけだ。読み切れない本を買うから本棚があふれてくるのだ。読まないから印象に薄いからまったく同じ本を二冊買うなんてこともある。

ブックオフで激安だと思って買ってきた本を偶然にアマゾンで検索し、マーケットプレイスに1円で売られているのを見つけるなんてことがあるともう憂鬱で仕方がなくなる。これだけはやってはいけない。ブックオフで買ってとりあえず積読しておいた本を次の日に図書館で発見してしまった時もいけない。そういう時ははやいうちにその本を読んでしまうに限る。そうしないと、図書館に行くたびその本が憎くて、そのうち夜も眠れなくなる。

まとまりのないはなしだけど、余計なものを買わないということなのだ。エコドライブというのも結局よけいなところに寄り道しないのが一番のエコなのだ。

燃費向上法の研究

クルマを運転するものならば、必ず行かなければならないのがガソリンスタンドである。一時に比べればガソリンの値段も落ち着いているとはいうものの、決して軽んずることはできないものだ。

そこらじゅうで燃費向上だとかエコドライブだとか色々なことを耳にする。確かにそれらを実践すれば燃費は向上するのだろう。ガソリン代もいくらか浮いてくれるのだろう。しかしそれはクルマを運転する快適さを失うものであるならあまり価値を見いだせないのも事実だ。「Fun to Drive」とは言えない。それにいくらガソリン代が節約できるといったところでせいぜいひと月に1000円程度のことなのである。こうなるとその意義がかすんでしまう。1000円節約するなら、もっと他にいい方法があるからだ。

とはいえ、燃費の向上は単にガソリン代を節約するためのものではない。ガソリンの消費が減るということは二酸化炭素の排出が減るということだ。エコドライブのエコはエコロジーのエコなのだ。そう考えれば燃費を向上させる理由がはっきりしてくる。快適さを失わせない範囲でガソリンを節約できる運転法をしばらく模索していきたいと思う。すでにいろいろな方法が紹介されているのでそれを実践し、どれほどのものなのか自分自身の目で確かめてみたい。

美濃焼への興味

美濃焼は実はすごい。日本で作られている茶碗の半分以上はなんと美濃焼だというではないか。ということは、岐阜県民ならずとも毎日使っている茶碗も半分は美濃焼ということになる。侮るなかれ、美濃焼。美濃焼にもいろいろある。素人の私ですらよく耳にするものが、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒の四つだ。なんとこれらすべて美濃焼だったのだ。素晴らしき哉、美濃焼。

ところで、志野や黄瀬戸、瀬戸黒は美濃で焼かれたものだとは思われていなかったらしい。名前も面倒なことになっているが、ずっと瀬戸で焼かれていたものだと思われていたというのだ。そんな俗説の誤りを正してくれたのが人間国宝の荒川豊蔵という人だそうな。というわけで、いま猛烈に美濃焼への、そして荒川豊蔵への興味がふつふつと湧いてきている。

夏休みになったら、多治見や土岐へ通って窯を見たい。茶碗をいろいろ見て回りたい。その前に焼物、陶芸について知らないことが多すぎる。知れば知るほど面白い世界だ。予習して臨みたい。

追伸 
さっそくいろいろ調べてみた。志野や織部も瀬戸でもどこでも作られているものなのだった。荒川豊蔵が発見したのは、美濃焼の隆盛を極めた桃山時代の志野焼が瀬戸ではなく美濃で作られたものであるということだったのだ。そして志野焼を極め、美濃焼を今のような地位にまで押し上げた一つのきっかけを作ったのがこの荒川豊蔵だった。ますます興味が湧いてきた。まだまだ知らぬことばかりだ。

小説の読み方

気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が智者。気運が来るや、それをつかんでひと息に駆けあがる者が英雄。―それが庄九郎の信念であった。そして庄九郎こそ、智者であり英雄だった。

「国盗り物語」第二巻の裏表紙に書かれている文章がこれだ。この部分が訳もなく気に入っていて、何かにつけ思い出すことが多い。

司馬遼太郎の作品の中で、私がもっとも好きなものがこの国盗り物語である。国盗り物語は全てで四巻である。このうち前半の二巻までが特におもしろい。司馬遼太郎も元はと言えば、松波庄九郎が美濃国を盗る前半二巻までで完とするつもりであったらしい。しかし、週刊誌での連載が好評であったため、その続編として織田信長と明智光秀の二人を主人公とした後半二巻分を作ったのだと聞いたことがある。

ところで小説とはいったいどう読むものなのだろうか。主人公になった気分で読むものだろうか。それとも第三者として読むものだろうか。そういう自分自身はどう読んでいただろうかと考えてみた。たいていは、主人公になりきって読んでいる様な気がする。そういえば、国盗り物語は前半で斎藤道三が死んでしまう。こうなると後半は誰になって読めばいいのだろう。草葉の陰からそっと見守る態度で読めばいいのか。

二種類の人間

世の中には二種類の人間が存在する。李白と杜甫である。私は杜甫だろうか。理想と現実とを往来する杜甫の詩には共感することが多い。

望岳
岱宗夫如何
斉魯青未了
造化鍾神秀
陰陽割昏暁
盪胸生層雲
決眥入帰鳥
会当凌絶頂
一覧衆山小

若き日の杜甫の様子が目に浮かぶ。その後、杜甫は泰山に登ったのだろうか。この気持ちをかなえることはできたのだろうか。泰山がどのようなもか、天下ははたして小さいものなのか。この詩は私のいまの気分をよくあらわしてくれているように思える時がある。

明智光秀公の話

1582年の6月2日に本能寺の変は起こったらしい。ということは1582年の今日の天下人とは明智光秀公だったのだ。本能寺の変が起こった成り行きについてはこれまでにもいろいろな物語が作られている。そのどれもがおもしろい。とはいえ、天下を自らの手に入れるという野望をついに果たしたのだと私は思っている。

同じ山県の出身ということもあり、明智光秀公に対しては以前から私は勝手に親近感を寄せている。三日とはいえ明智光秀公は天下を取った。三日でなくてもいい、三分でいいから天下をとりたいものだ。偉大な故郷の先輩を目標に、本能寺の変のため、私も準備を怠らぬようにしたい。

玉井裕也です

玉井裕也のブログへようこそ。
かんたんな自己紹介はこちらからどうぞ。
このウェブサイトには、私自身のオンのことからオフのことまで、誰かの役に立つことから誰の役にも立たないことまで、なんでも書くことにしています。
気軽にコメントやメッセージをください。