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  • 見たことがあるようで違う茶碗

    鼠志野茶碗

    どことなく見たことが、あるような、ないような、鼠志野の茶碗だと思う。銘は潔く「峰紅葉」だ。本当のことを言うと、この茶碗は陶芸体験教室で作って、つい最近になって完成して送られてきたものだ。形は全く似ていないけれど、そういうことを気にしてはいけない。

    陶芸「体験」なので、茶碗を作る過程で私がやったというのはろくろで形を作るだけだ。だから形はまったく似ていないのだ。ろくろでこれだという形が決まったら、釉を自分で選ぶことができた。形が決まったといってもこれ以上触ったらぐちゃぐちゃになりそうだから手を打ったというほうが正しい。ともかく釉薬は鼠志野を選んだのだけど、そのときに思い出したのが峰紅葉という名のついている茶碗だった。正直にいえば、鼠志野の茶碗といって、これしか浮かばなかっただけなのだけど。直前に本で見たのがその茶碗だったのだから、そんなもんである。ともかく「亀甲の絵の有名な茶碗で・・・・・・」と言ったら「峰紅葉ですか」と言ってもらえた。そんないきさつから、「そんな感じに仕上げてください」と頼んでしまったのだ。

    それはさておき、愛知県陶磁資料館では10月3日から11月23日まで「志野・黄瀬戸・織部のデザイン」が開催されていて、そのなかに峰紅葉の茶碗もあるみたいだ。ほかにもいろいろあるみたいで、美濃焼の茶碗が大集合という感じなので、なんとか足を運びたいと思う。やはり、写真で見るのと、本物を見るのとではなにかが違うらしいということが分かってきた。たとえガラス越しでも感動できるのはやはり本物なのだ。そのときはわけがわからず周りに合わせて感嘆しておくとしても、あとからじわりじわりと思い出しては膨らんでくるなにかがある。ますます行ってみたくなってきた。

  • 美濃焼への興味

    美濃焼は実はすごい。日本で作られている茶碗の半分以上はなんと美濃焼だというではないか。ということは、岐阜県民ならずとも毎日使っている茶碗も半分は美濃焼ということになる。侮るなかれ、美濃焼。美濃焼にもいろいろある。素人の私ですらよく耳にするものが、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒の四つだ。なんとこれらすべて美濃焼だったのだ。素晴らしき哉、美濃焼。

    ところで、志野や黄瀬戸、瀬戸黒は美濃で焼かれたものだとは思われていなかったらしい。名前も面倒なことになっているが、ずっと瀬戸で焼かれていたものだと思われていたというのだ。そんな俗説の誤りを正してくれたのが人間国宝の荒川豊蔵という人だそうな。というわけで、いま猛烈に美濃焼への、そして荒川豊蔵への興味がふつふつと湧いてきている。

    夏休みになったら、多治見や土岐へ通って窯を見たい。茶碗をいろいろ見て回りたい。その前に焼物、陶芸について知らないことが多すぎる。知れば知るほど面白い世界だ。予習して臨みたい。

    追伸 
    さっそくいろいろ調べてみた。志野や織部も瀬戸でもどこでも作られているものなのだった。荒川豊蔵が発見したのは、美濃焼の隆盛を極めた桃山時代の志野焼が瀬戸ではなく美濃で作られたものであるということだったのだ。そして志野焼を極め、美濃焼を今のような地位にまで押し上げた一つのきっかけを作ったのがこの荒川豊蔵だった。ますます興味が湧いてきた。まだまだ知らぬことばかりだ。