タグ: 思い出

  • 人間ドッグ

    私はいつのまにか、人間ドッグという言葉が好きになったみたいだ。人間ドッグという文字につい目を止めてしまう。人間なのかそれともドッグなのか。人間なのにドッグなのか、人間のようなドッグなのか。もちろんどちらでもなく、人間ドックの間違いだ。そんなことを知っていてもつい気になってしまうのは、人間ドッグという言葉に私を惹きつける何かがあるからだろう。

    グーグルはとても優しい。グーグルで「人間ドッグ」と検索してもきちんと「人間ドック」がヒットする。さすがグーグルだなあ、なんて思ってしまうところだ。しかし、いや、ちょっとまてよと思う。人間ドックにまぎれて人間ドッグがあるということは、もしかしたら人間ドックの間違いではない本物の「人間ドッグ」が紛れ込んでいるかもしれない。むしろそのグーグルのおせっかいのせいで、本物の人間ドッグを探している人が人間ドッグにたどりつけないいのでいるのではないかと思うのだ。

    残念ながら本物の人間ドッグを私は知らないままだ。本物の人間ドッグを知っている方がいたら私に教えてほしい。

  • ふるいケータイ

    掃除をしていたら古いケータイの説明書が出て来た。シャープ製DP-203、記念すべき我が初ケータイだ。いま思えばなかなかいい端末だった。液晶画面が広くて最先端な感じがかっこよかったようなきがする。そうはいっても当時は液晶が広いなんてことよりも小さいということのほうがカッコイイ時代だったかもしれない。

    私の持っていたのは表側は光沢のある緑色で裏側はグレーだったと思う。スタパの記事は青色だから少し違う(記事一番下)。縮尺が変だし画像の貼り方が下手くそだと思うかもしれないけれど、DP-203は元々こういう比率のデザインなのだ。電卓と間違われた人やら幅広で象に踏まれたと言われた人がいたらしい。アンテナを伸ばすとトランシーバーに似ていると何度か言われた。

    ケータイの電話番号が一桁増えたのもちょうどこの端末を使っている頃だ。080-XXX-XXXXが090-8XXX-XXXXになった。父の事務所の近所のココストアで電話帳自動書き換えマシーンにつないで電話帳の電話番号を10桁を11桁に変換したと思う。そうしたらケータイの液晶画面に一列に11桁が表示しきれずに2列になってしまったようなきがする。父か妹かの端末にいたっては液晶画面に電話番号を11桁すべて表示しきれなかったと思う。そのころ「030-XXX-XXXX」という番号の人は昔からケータイを持っているのだと優越感にひたれるという話があったけれど、全員「090-XXXX-XXXX」になってしまったせいで関係なくなったような記憶がある。

  • テレサ・テンが好き

    https://www.youtube.com/watch?v=_GrIji8yPGs

    テレサ・テンの歌を好きなったきっかけは「荒木とよひさの明るく元気にヨーイドン!」というCBCラジオの公開録音を長良川国際会議場に行ったことだと思う。そのラジオの目玉はゲストであるコロッケのものまねライブだった。高校生の私の目当ても当然コロッケでそれは楽しかったのだけど、もっといい出会いがあった。舞台にはコロッケの他に荒木とよひさと三木たかしがいて、三人が歌ったり、トークをしたり、2時間ぐらいだったとおもう。「荒木とよひさと三木たかし」と来たら話題は当然テレサ・テンで、二人の尽きることのないテレサの思い出話は、本当に楽しかったし、ふたりのテレサへの特別な愛を感じることができた。

    テレサ・テンを好きになり始めたときすでにこの世にはいなかったから、CDで歌声を聞くぐらいしかなかった。だけど、いまではyoutubeで気楽に映像を見ることが出来るのは本当に運がいいと思う。日本語曲だけでなくて中国語曲も検索すればいくらでもでてくる。なんていい時代なんだろうと思う。

    そういえばそのラジオの公開録音の時にテレサの一番好きだった曲は「時の流れに身をまかせ」だと言っていたような気がする。そんな気がしているからか私の一番好きな曲もこの曲になってしまったようだ。クラシックを楽しむように、いろんなバージョンの「時の流れに身をまかせ」をyoutubeで見つけては聞いている。ちょっとづつ違うところがまた楽しい。これってほんとうに楽しいことだと思う。

  • 九成宮醴泉銘

    Suzuri 陶硯

    本屋で、最新号のPenのが書道を特集していたので思わず買ってしまった。いつか書いたように、私は中学の時に書道部で、高校の芸術の授業も書道を選択していた。だけど、消去法的に選んだだけだったので、当時は上達しようという気持ちがたいしてなかった。そのせいで、いまも下手で、あの時間はいまとなっては何の達成感もない記憶にしかなっていない。そうはいってもやはり、美しい文字を書きたいと急に強く感じるもので、本屋でそんな本を見つけては手にとってしまうなんてこともある。

    写真はというと、しばらく前に陶芸教室でつくった陶硯である。文房四宝のなかでだれでも簡単に作れるのは硯だろう。余っていた上信楽の土に黄瀬戸をいい加減に掛けてけただけのものだけどたぶん硯として十分に使えるとおもう。まだ使っていないのでまっしろなのだけど、ところで陸の部分というのは釉薬をかけるものなのだろうか。水滴がなぜかセットになっている織部の硯の写真を見ると釉薬がかかっているようなかかっていないような。墨をするにはザラザラしていないといけないような気もするし、筆が痛まない程度にツルツルでないといけないような気もするし。

    せっかくだから使わなきゃと思ったので物置や押入れを探した。けっこう色々出てくるものだ。モノを捨てられない性格なので、古いものでも記憶に残っているものはたいてい家のどこかに残っている。何年も使われていないカチンコチンの筆が数本と、貰いものの墨が1本、そして練習用の半紙が二束も出てきた。そしてこの自作の黄瀬戸陶硯で御宝が四種そろった。見るからに習字教室時代のものと思われるラインの入ったフエルトの下敷きも見つかったし、意外になんとかなるものだ。手本もどこかにあったはずと本棚を探して見つけたのが、欧陽詢の九成宮醴泉銘だ。これはまた懐かしい物が出てきたものだ。

    小学校や中学校の国語の時間にはいつも漢字テストがあった。マンガのタイトルみたいだけど、「トメ、ハネ」は大事だと習っていて、間違えるとバッテンがつけられた。それなのに、こういう書道のお手本をみると、滅茶苦茶なのだ。トメがハネになっていたり、ハネがトメになっていたり。妙に変だなあと思うと、一画抜けていたりというのもよくあった。変だぞ変だぞと、そんな事ばかり考えながら書いていた。さっきpenの書道特集を読んで、「なーんだ、好き勝手に書けばいいんじゃないか」と勇気が出てきたのだ。高島屋の魯山人展を見てからも書道をもう一度やってみたいなと思っていたところなのでいい機会かもしれない。

    更に色々さがしまわったら書道の授業でつくった篆刻の作品まで出てきた。「2年1組玉井裕也」というシールが貼られたままだ。penの特集にあった王羲之の「奉橘帖」にしても蘇軾の「黄州寒食詩巻」にしてもハンコがベタベタ押してある。1月3日ぐらいに届く年賀状のようだ。決まりなんてないんだろう。芋判みたいなのもそこら中に押してあるので、こちらも実は好き勝手やればいいのだと感じた。ちょっとまえに買った唐詩の本から好きなのを選んで芋判を押せば完成だろう。陶印を作るというのもよさそうだ。

    そういえば、あのころ、行書も何か書いていた。書家の名前は全然わからないけれど、本を読むと聞いたことのある名前がときどき出てくる。もしかしたら王羲之の蘭亭序だったかもしれないなあ。蘭亭序という名前は聞いた記憶がある。(苗字が一文字の中国人の名前はみんな書家に見えるし、詩人に見える。羨ましい。)楷書はまだしも、行書は本当に嫌いだった。頑張れば頑張るほどバランスの悪い文字になっていったことを思い出した。なんども叱られた記憶があるし、いまでも行書は好きになれない。それに引き換え九成宮醴泉銘はいいなあと思う。叱られたよりも誉められた記憶のほうが多い。カチンコチンの筆がほぐれたら書いてみようと思う。